山本五十六 ソロモンの蒼穹(そら)に散る
今日は何の日
良い歯の日、発明の日、山本五十六元帥が亡くなった日。
1943年4月18日に山本五十六がソロモンで亡くなった。
山本五十六と聞いても、今の若い人には、知らない人の方が多いのだろう。
私も戦後生まれであるから、実際のところ、歴史小説や映画、テレビドラマの中でしか、
知らない人なのではあるが、多くのメディア、コンテンツにおいて史実やフィクションも
含め、数多く描かれた人である。
私の記憶に残っている山本五十六についての知識はあいまいな点もあるが以下の通り、生まれは新潟県長岡市。
旧制高野五十六。旧長岡藩の家老であった山本家に養子に出され、山本の姓となる。長岡藩については、幕末期の
長岡藩家老の河合継之助、明治維新後の米百俵の逸話が有名であるが、これらについても機会があれば書いて
みたい。
細かい逸話については数多いが、大鑑巨砲主義が主流であった時代に飛行機による空母主体の機動攻撃へ重要性を
説き、作戦を実行した真珠湾攻撃が有名。年功序列により、当作戦における人事の失敗もあり、十分な成果は
得られなったが、山本五十六の名を一躍有名にした作戦であった。
ミッドウェーの敗戦により、ジリ貧の日本。暗号も米国に筒抜けになっている中で、視察中に撃墜され、最後を
迎える。国葬が営まれ、元帥へ昇進。
「やってみせ、いってきかせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」は、人材教育について手本とする言葉。
人間的な魅力もあり、自ら、海軍を辞めたら、博打うちになりたいと廻りに話していたとの逸話も残っている。